カナダの歴史〜オレンジTシャツの意味〜

カナダ

例年行われる調査・研究発表の結果、カナダは最も住みやすい都市(バンクーバー・カルガリー・トロント)や治安の良い都市、旅行した国の上位常連国です。そんな多方面から人気のあるカナダですが、実は暗い歴史背景もあることをご存知でしょうか?
私自身、カナダに来る前はもちろん、こちらに来て数年の間は知りませんでした。それは冒頭でお伝えした現在のカナダからは容易に想像できないものです。

先住民の存在

まずおさらい程度にお話ししますが、1867年7月1日、英国領北アメリカ法(BNA 法)が発効されたことにより、正式に自治領カナダが誕生しました。7月1日はカナダの建国記念日(カナダディ)です。ちなみに、うちの旦那さんの誕生日でもあります。
フランスによる北アメリカ大陸の植民地化を経て、英国の支配下に入り、1867年に自治領カナダ国になる過程で、カナダでは大量の先住民が虐殺されています。その際に強行的に取られたのが、同化政策です。

同化政策というのは、より強い権力を持つ民族が弱い立場の他民族に対して文化を強いる行為のことで、現在でも世界各地で先住民や少数民族が同化政策によって苦しめられています。同化政策の実態は、他民族の浄化や除去を目指す差別的な政策であり、これにより集団虐殺が起きた歴史を忘れてはいけません。宿舎学校もその政策の一貫であって、先住民の子供たちの命は意図的に軽視されてきました。

カナダでは1830年代初頭から1996年まで寄宿学校制度が実施され、何千人ものファースト・ネイション、イヌイット、メティス(メイティとも呼ばれる、先住民族とフランス系住民間に生まれた子)と呼ばれる先住民族の子どもたちを白人・ヨーロッパ文化に同化させようとして寄宿学校に通わせた歴史があります。カナダ先住民族の人々は、教育を通して自らの文化や尊厳を否定され、白人の言語と文化を押し付けられました。

オレンジTシャツの由来

オレンジシャツデーは、ある少女の実体験が元になっていると言われています。
オレンジ色は、寄宿学校に先住民であるフィリス・ウェブスタッドさん(当時6歳)が入学したとき、祖母が着せてくれた真新しいオレンジ色のシャツを剥ぎ取られたことに由来しています。先住民族のアイデンティティを寄宿学校制度が奪ったことを象徴しているとして、シンボルカラーとなりました。

この取り組みは、癒しと和解の精神で、すべてのカナダ人が 9月30日にオレンジ色のシャツを着ることを推奨されています。

Every Child Matters

毎年9月30日は、子どもたちが寄宿学校に送られる日で、「一人ひとりの子が大事(Every Child Matters)」というメッセージを全てのカナダ人が心に刻むようこの日に設定され、2023年よりブリティッシュコロンビア州では州独自の祝日になりました。

寄宿学校に通う生徒は、もともと持っていた名前も奪われ、ヨーロッパ風の名前を付けられます。時に腕の内側に番号を入れ墨されるケースもあったそうです。食事は質素どころか腐ったものが出てきたりして、多く子供が栄養失調や感染病を患う人で後を絶ちませんでした。虐待やネグレクトの辛い経験など、数世代にわたって生徒、その家族、民族の言語で話せば罰せられ、兄弟姉妹が同じ学校にいても話すことを禁じられたとても残虐的で、人として扱っているような環境ではありませんでした。

学校での取り組み

我が家の長男くんと次男くんは、オレンジのTシャツを着て登校していきました。先生や学校関係者もオレンジのシャツを着ていました。クラスアクティビティでも、この歴史背景について触れたようですが、6歳と4歳にはまだ少し難しい話題かもしれません。

特に彼らは、人種の違いが当たり前のような環境で生活しているため、なぜそのような差別が生まれたのかなど、疑問に思う点も多いと思います。

まとめ

現在カナダは多くの移民で成り立っている国と言われますが、先住民の存在も決して忘れてはいけません。そして多くの移民が暮らしやすい社会を目指しているように、先住民の人の文化や歴史なども尊重されるべきです。

肌の色や言語などで、差別される世界が消えることは難しいですが、違いを受け入れ理解しようとする動きが広がれば、本当の意味でもっと住みやすい世の中になるのになと考えさせられています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました